活動報告に追加:総会&初練習・第2回柏冬まつり

よさこい祭りの歴史

高知の第一回よさこい祭り前から現在に至るまでの出来事

「よさこい 祭り」(高知)についての発端から現在までの歴史について解説しています。
昭和28年29年については不確かな部分があります。
間違っている部分があれば、 こちらよりメールをして下さい。
    

月日 内容
「高知の歴史」作成にあたり以下のサイトを参考にしています。
よさこい祭り歴史資料館   よさこい祭りWWWページ(高知)
よさこい祭り振興会   よさこいプロジェクト2003等より
昭和25年
(1950)
3月
もとは座敷踊りだったものを、新しく振りを付け直し「よさこい踊り」として、南国高知産業大博覧会で披露される。
昭和28年
(1953)
第二次世界大戦後の不況を吹き飛ばし、「商店街に顧客を呼び込ような、人が集まってくる何かをしよう」と入交太兵衛氏 常議員会にて発言。高知市の商工会議所が企画、「隣の徳島県で行われている阿波踊りに負けないお祭りに しよう」と考えました。
昭和29年
(1954)
第1回
21チーム
(773名)
4月 8月に、会議所と高知市の共催で永続性のあるお祭りよさこい鳴子踊り開催を決定日取りは、過去40年間、最も降水率が低かった10日、11日に決まりました。
6月25日 会議所観光部会の濱口八郎氏(初代濱長)が、作曲家 武政英策氏に歌詞・曲を依頼(当初から著作権フリー)後の「よさこい祭り全国大会」の特別賞(よさこい祭り最高の賞)「武政英策賞」の設置の元となった。
この時、武政氏のアイディアで、「隣の阿波踊りの素手に対抗してこちらは鳴子を使おう」という提案があり、「よさこい」の絶対アイテムになっています。
踊りの振り付けは、日本舞踊(花柳、若柳、藤間、坂東、山村の日舞五流派)のお師匠さんに依頼    武政英策氏は、当初8ビートで作曲を考えていたようですが、日舞の師匠に振付を依頼したことを知り4ビートで作曲したようです。
振付は、街頭踊り(ながし踊り)の為前へ前への振付に苦心したようです。
7月 よさこい祭振興会発足
7月15日 歌と踊りを発表
8月10日
11日
第1回よさこい祭りは、開催されました。
この当時の、「よさこい祭り」は、伝統的な盆踊り風だったようです。
市内特設舞台7ヶ所で披露、高知城追手門内の本部、帯屋町2丁目グリーンロード、はりまや橋、上町、愛宕、菜園場、梅ヶ辻、街頭流し(中種-帯屋町-大橋通り-市営競輪場)これが、今、うちで踊っている「よさこい鳴子踊り」の原型です。
10日高知市内の銀行は休業
※会場については、8ヶ所と言う記述もあり、数と会場名は、不明なところもあります。
昭和32年
(1957)
第4回
31チーム
(1,847名)
第4回よさこい祭りから地方車が登場。
地方車とは、現在、アンプやスピーカーの音響機器やバンド等が乗り込む車のこと。
これにより、踊り子隊の自由度が高まり、後にオリジナルの曲を使う大きな要因になる。
これで現在の「よさこい」に必要な、踊り子・鳴子・地方車、3つのアイテムが揃う。
高知の人が、こちらの、地方車を使わない「よさこい」をみて、「これでよさこい?」と
言う人もいます。
昭和34年
(1959)
第6回
43チーム
(2,632名)
ペギー葉山さんが歌った、「南国土佐をあとにして」が大ヒットし、映画化で鳴子踊りの大郡舞が収録され、「よさこい祭り」は全国の人々が知ることとなった。
高知県をイメージアップした功績で、名誉高知県人となり、後の「よさこい祭り全国大会」の特別賞「ペギー 葉山賞」の設置の元となった。
この時使われた楽曲は、改めて武政栄策氏が作曲し直したようです。    この年前夜祭が行われる。
昭和35年
(1960)
第7回
本部は、追手筋となる。
昭和37年
(1962)
第9回
日程は9日から12日となる。(但し12日は、市民納涼花火大会)
昭和38年
(1963)
第10回
この年、台風9号の災害のため、当初9日から12日まで行う予定だったものを、8月15日から17日に延期
昭和40年
(1965)
第12回
7月10日「よさこい鳴子踊り」発売(日本コロムビア)
歌手:都はるみ 作詞作曲:武政英策 編曲:市川昭介
現在、正調と言われている楽曲
これまでのよさこい鳴子踊りは、第71回よさこい祭り前夜祭で原点よさこいとして紹介されています。
昭和45年
(1970)
第17回
万国博「日本のまつり」160名でよさこい鳴子踊りを披露。
昭和46年
(1971)
第18回
追手筋と中央公園会場の踊りを“基本型のよさこい鳴子踊り”に限定
昭和47年頃
(1972)
第19回
フランス、ニースカーニバルでよさこい鳴子踊りを披露。(振付:荒谷深雪)
この年の日程は、山崩れで60人が生き埋めになるという大惨事が発生(7/5)した為、弔意を
表し8月28日29日30日31日の四日間だった。
この頃から「よさこい」に、サンバ調やロック調の曲を、採用して踊るチームが、出現しました。それは、武政氏が「よさこい鳴子踊り」の曲を自由に、アレンジする事を、許可していた為、自分たちで編曲して、それに合わせて振付け、衣装を工夫するようになりました。
この新しい「よさこい」の形態は、すぐに広がり、よさこい祭りのバリエーションを、広げて行きました。
最初の頃は、日当を払って踊り子をお願いする状況だったものが、お金(参加費)を払って参加するという状況に変わって行きました。
同時に参加する踊り子の多くが若者、また女性であるという現象を生み、さらに生バンドを,地方車に載せて、演奏しながら踊る形態も、この頃から出て来はじめました。
野外ライブ+舞踊という、他にはあまり例を 見ない祭りに、進化したのです。地方車の装飾が、派手になったのも、その頃からです。
この頃までに現在の「よさこい」の基礎が出来たのです。
昭和50年
(1975)
第22回
高知市民憲章踊り子隊(自由参加の踊り子隊)初参加(過去最高500人)
    管理人コメント
現在(2015)も参加している踊り子隊ではあるがどうもこの踊り子隊には、人数規定は適用されていないものと思われる。
最初から500人での参加で踊り子隊の性格上やむを得ないと思う。
当日参加型の踊り子隊です。法被が¥500かかるようですが先着順のようです。
鳴子持参の踊り子隊で参加費無料です。
昭和52年
(1977)
第24回
ながしでの地方車先導が正式に認められる。
昭和53年
(1978)
第25回
本部競演場でも初日から「アレンジ演奏」が認められる
昭和55年
(1980)
第27回
地方車が全参加団体に義務付け
昭和56年
(1981)
第28回
過去最大の高知市子ども会連合会(570名)が登場。
昭和57年
(1982)
第29回
過去最大の「高知市子供会連合会踊り子隊」(800名)が登場。
翌年も同じ人数で参加
昭和59年
(1984)
第31回
いろはにほへと登場
全く新しい形のよさこいが登場
振付:国友須賀
この年以降須賀旋風が巻き起こることとなる。
昭和61年
(1986)
第33回
「競演場」を追手筋本部・菜園場・中央公園・梅ノ辻・上町・万々・旭町・升形・愛宕町の
計9ヶ所に正式決定
昭和62年
(1987)
第34回
上限を150名に規定
上記の規定により子供の踊り子隊を設立し大人と分けるような動きが出る
平成元年
(1989)
第36回
10月 濱口八郎氏(濱長)死去
「よさこい鳴子踊り」の楽曲・振付の生みの親
平成2年
(1990)
第37回
セントラルグループ踊り子隊登場 
   管理人コメント
前年濱口八郎氏が死去され時代の変換期とも見ることが出来る。
平成3年
(1991)
第38回
「よさこい祭り」前日祭(現前夜祭)
高知商工会議所創立100周年を記念して、現在の形の前日祭が設けられ前年各受賞チームが演舞を披露する、
前日祭(9日)本番(10、11日)の3日間になった。
YOSAKOIソーラン祭りの産声
当時北海道大学の学生が、よさこい祭りで当時のセントラルグループの踊りに、衝撃を受けたのが、「 YOSAKOIソーラン祭り」の始りです。「よさこい祭り」で感動を受けた学生は、北海道にも「よさこい祭り」のような祭りを作れないかと、当時の高知県知事 橋本大二郎氏、セントラルグループに掛け合い快諾の上、その年の12月に仲間達と「よさこいソーラン祭り実行委員会」を立ち上げ。
第1回YOSAKOIソーラン祭りは、翌年の1992年6月 13・14日に開催され「セントラルグループ」「高知大丸」「旭食品」「山田太鼓」「高知学生チーム」「高知シニア」6チームが実費で特別参加しました。
※この年から本番を本祭と呼ぶこともある。
平成4年
(1992)
第39回
6月13日
14日
第1回YOSAKOIソーラン祭り
高知より「セントラルグループ」「高知大丸」「旭食品」「山田太鼓」「高知学生チーム」
「高知シニア」6チームが実費で特別参加しました。
平成7年
(1995)
第42回
後夜祭の誕生
後夜祭が設けられ、その年の各受賞チームが、最後の演舞を披露する場となっています。
会場:中央公園
前夜祭(9日)、本番(10、11日)、後夜祭(12日)の4日間となった。
※前日際を前夜祭に変更
平成9年
(1997)
第44回
あったか高知踊り子隊(自由参加の踊り子隊)初参加    管理人コメント
元氣祭でお馴染みの踊り子隊
現在(2015)も活動しています。
参加するには、事前の申込が必要です。
市民憲章と同じく自由参加ではあるが旅館ホテル協同組合が運営されている為観光客が多いかも
平成11年
(1999)
第46回
よさこい全国大会の誕生
「よさこい祭り」が、全国的な広がりをみせてきた事もあり「交流と情報発信」を目的に、
「第1回よさこい全国大会」が後夜祭と連動で誕生。    会場:高知城、追手筋、帯屋町、中央公園
参加踊り子隊:全国地域別エントリーチーム
本番受賞チーム(地方車奨励賞を省く)
管理人コメント
よさこい祭り後夜祭とよさこい全国大会は別物です。
後夜祭(主催:よさこい祭り振興会)は、本番入賞者の、表彰式と演舞、また全国大会(主催:よさこい祭振興会 ・高知市観光協会)は、県外チーム(46チーム以内)と本番受賞チーム(地方車奨励賞を省く)の演舞で賞があります。
平成12年
(2000)
第47回
過去最小の「みちことななえとひとみちゃん踊り子隊」(3名)が登場。
    管理人コメント
この踊り子隊は、実際に帯屋町演舞場で見ました。
踊り子は3名で、地方車?は、自転車の荷台にラジカセを積んでの参加でした。
計4人での参加でした。
音が埋もれてしまっていましたが、すごく感動したことを覚えています。
翌年最少人数規定が出来た為この最少人数記録が破られることはないでしょう
と言うか、規定がなくてもこの人数での参加は現れることはないと思いました。
平成13年
(2001)
第48回
踊り子隊の最少人数を「著しく少ない人数での参加は、断る場合がある。」と規定
平成15年
(2003)
第50回
第50回記念大会
「よさこい祭り」が始まって、記念すべき50回記念大会。過去最高の187チームが、参加し、
お祭り期間中、各競演場&演舞場で乱舞。(約2万人/日)
この年、本番ではないが(前夜祭の日の昼間)「記念パレード」と称し、電車通りでの
ながしが実現。
平成17年
(2005)
第52回
第52回よさこい祭り
競演場 9ヶ所 演舞場 6ヶ所 参加177チーム 踊り子19,000人
平成23年
(2011)
第58回
全国大会の会場であった高知城が、本番の演舞場としてデビュー
40年ぶりに高知駅前演舞場が復活。
競演場9会場演舞場8会場となる。
国友須賀さんが、6月1日午後11時54分胃がんのため千葉県旭市内の病院で死去。
※国友須賀
第36回よさこい祭(1989)セントラルグループ踊り子隊の参加によりそれまでのよさこいを変えた踊り子隊の振付師    3月11日午後2時46分18秒東日本大震災
平成24年
(2012)
第59回
はりまや橋演舞場が、競演場に変更
競演場10会場演舞場7会場となる。
知寄町競演場が、本年で、26年の歴史に幕を閉じる。(会場内ビルの建て替え後、演舞スペースがなくなる為)
平成25年
(2013)
第60回
第60回よさこい祭り
214チームが参加(史上最多)
知寄町競演場が、開催されなくなる。(会場内ビルの建て替え期間のみという話もあるが定かではない)
競演場9会場・演舞場7会場となる。    前夜祭の審査廃止
管理人コメント
前夜祭の審査廃止により楽しい感じで「明日から本番が始まるよ~」って言う感じになったような気がする。企画の自由度が高くなったのかなぁ
平成26年
(2014)
第61回
この年の8月、日本各地で豪雨が発生。「平成26年8月豪雨」と名付けられた。
台風11号と12号の影響で前夜祭は中止となったが(花火は12日打ち上げられた)、本番と全国大会は、通常通り開催された。    「とらっく」、一般社団法人高知県トラック協会が撤退表明。(2014年11月15日)
平成27年
(2015)
第62回
「十人十彩」活動休止。
「とらっく」は、「とらっくよさこい(ちふれ)」(初参加)として復活。
「とらっくよさこい」が、1年間のネーミングライツを採用(よさこいでは初めて)。    1999年から始まった全国大会の審査委員長を務めてきたペギー葉山さんが審査委員長を辞退。
平成28年
(2016)
第63回
よさこいアンバサダー制度創設(高知県)
2016年6か国、7チーム、19 人
2019年19 か国、23 チーム、65 人
平成29年
(2017)
第64回
よさこいマイスター制度創設(高知県)
2017 年7月3人
2019 年8月 14 人
令和2年
(2020)  第67回
コロナウイルス蔓延の為中止  よさこい祭り始まって以来初めての中止となる。
令和3年
(2021)  第68回
コロナウイルス蔓延の為昨年にひきつづき中止
令和4年
(2022)  第69回
コロナウイルス蔓延の為昨年にひきつづき中止
代替えイベントとして「よさこい鳴子踊り特別演舞」を開催  県内61チーム(4000人) 県外39チーム(2500人)の合計100チーム(6500人)を受付
実際の参加チームは96チームでの開催となった。会場(12会場)
秦、上町、万々、はりまや橋、旭、高知城、高知駅前、追手筋、中央公園、帯屋町、京町、柳町 参加しなかった会場
升形・梅ノ辻・菜園場・愛宕 地方車の共同使用を認める
令和5年
(2023)  第70回
1月5日
日本舞踊家の荒谷深雪(あらたに・みゆき)さん84歳でお亡くなりになった。
第1回よさこい祭りから参加
フランスニース市でのカーニバルに参加する際の振付をし、「よさこい鳴子踊り」が大きく変化するきっかけとなった振付師
 第70回よさこい祭り参加数:157
「よさこい祭り」商標登録出願へ(7月31日出願)
高知大学演舞場新規開設(競演場9演舞場8)
令和6年
(2024)
2月21日「よさこい祭り」商標登録
6月14日「高知よさこい祭りオフィシャルサポーター」に「AAA」のメンバー、宇野実彩子さん(37)が就任
現在 「第一回よさこい祭り」から半世紀を超え、北は北海道、南は沖縄まで全国各地
そして海外に広がりをみせていて、全国から多数の参加がある。
管理人コメント
よさこい祭りは、第1回から、現在まで延期等はありますが、中止になったことはありません。    昭和40年(第12回)頃まで振興会側には、踊りの統一をという意見も出されていたようです。
昭和46年(第18回)追手筋と中央公園会場の踊りを“基本型のよさこい鳴子踊り”とし、アレンジしていく方向を暗に認めていくことになる。そして昭和53年(第25回)全会場でアレンジ曲が認められ現在に至る。
が第50回より正調への回帰が見受けられるようになりました。
”基本型の踊り”→アレンジ曲→かけ離れたアレンジ曲→正調回帰→現在いろいろな楽曲を楽しめるようになる。
上記に正調と書きましたが”基本型の踊り”とは少し違うようです。(微妙)
アレンジしていく方向は、高知の県民性に起因していると思います。(いごっそう)よさこいの形式の全国的な流れ
高知で生まれたよさこいは、「街頭踊り」つまり今で言う「ながし」や「パレード」の概念しかありませんでした。
中央公園競演場のステージでもながしで踊っています。(正確なプログラムはありません)
しかし1992年YOSAKOIソーランの開催からステージ踊りの概念が生まれ曲を4分30秒の規定が生まれた。
同時にながしも100m4分30秒で踊るようになり、正確な時間でプログラムが作れる形式の運営が
出来るようになりました。(遅いチームは、足りない距離を走ることになる)
4分30秒を目一杯踊る激しい踊り方をするチームが多くなりました。
この方法が生まれたことにより、運営が計画的に出来るようになり、全国へよさこいが広がる一助となっています。高知では、ながしが主流の為、曲の時間を規定する必要がありません。現在(2015)曲の時間は1分弱~4分30秒
の間で作製されていると思われます。
高知から県外へ出て踊る踊り子隊は4分30秒の1分の1、2分の1、3分の1、4分の1といった感じで1曲の
演舞時間を決めるといいかも坂戸よさこいでは、各会場で演舞時間を定めて、正確な演舞プログラムをつくっています。
(時間が来たら踊りを止めるつまり足りない距離は演舞しない)